「本当だ、冷たいねえ…」
ミカサの細い指を軽く握ってハンジが言った。「雪合戦でもしてきたの?」
「いえ。もとから血行が悪いようで」
「分かってるって、ジョークだよジョーク。ウチのエースくんたちはユーモアセンスに欠けるんだから」
そう言って彼女が手渡してくれた革の手袋ははめてみると少し大きかった。数年前に知人からもらったのはいいが勿体なくてあまり使っていなかったのだというそれについて、普段ミカサがはめている安物の手袋よりは温かいだろうとハンジは太鼓判を押したが、正直なところはめてみただけではそれを確信するに至らない。コーヒーに落とすミルクのような色もミカサの好みではなかった。しかしこれで指先の冷えが解消するならばと、細かいことは口に出さずそれを借り受けることにした。
気にするようになったのは、アルミンに手が冷たいと言われてからだった。「ミカサの手、すごく冷たいけど大丈夫?」。それまで自分の手や指が冷たいなどと考えたことは無かった。冬は確かにかじかんで感覚が鈍るがそれは皆同じことで、自分に特別な事だとは思わなかった。しかしアルミンの(男性なのに)女性的な手は、包み込まれるとじんわりと熱く、こちらの手が溶けてしまうのではないかと思うほどで、それは彼の手が温かいと同時に自分の手がそれほどに冷たいのだと悟るには十分な体験だった。聞けば特に冬場、手足の温度が下がるのは女性によくみられることで、クリスタも重ね着をしたり分厚いソックスをはいたりして身体を冷やさないよう努力しているらしかったが(サシャはそんなことには無縁なようだった)、そのクリスタでさえミカサの手は氷のようだと言うので、これは単に冷えているだけでなく生来血のめぐりが悪いのではないかと思い至ったのだった。立体機動装置を駆使する兵士にとって、指先の感覚が鈍るのは致命的である。あれは、ワイヤーの出るタイミング、ガスの噴射量、そして何より巨人どもの肉を切り刻む剣の刃先を、すべて指で操るのだ。十本の指に生命を託していると言っても過言ではない。その指が思うように動かなくなるということはつまり死を意味する。巨人の餌になるということを意味するのだ。
「手袋を重ねてはめればもっと温かいけど、ミカサはそれは嫌だろ?」
「はい。剣が握りにくくなるので」
「じゃあ、あとは体温を上げる食べ物を食べるようにしたらいいよ。唐辛子とか生姜とかね。…しかし、君はずっと温かそうな格好をしているから冷えとは無縁だと思ってたのに、意外だなあ」
「温かそう?私が?」
「うん。温かそうじゃないか、そのマフラー」
思わずむず痒い気分になって、ミカサはそのマフラーに口元を埋めた。「はい、温かいです…とても」
「人間離れしてる君でさえ冷えから逃げられないなんて、つくづくヒトっていうのは不便な生き物だよ。あーあ、巨人も寒さで動きが鈍って仕留めやすくなったりしたらいいのになあ」
ま、熱が彼らの生命活動にどれだけ影響を及ぼしているのかすら私たちには未知数だけど…と語り出すハンジの声を遠くに聞きながら、はめていた手袋を外してマフラーの下の首筋にふれると、その氷のような冷たさにミカサは身ぶるいした。
そうだ、自分の体温は、このマフラーが与えてくれるものに他ならないのかもしれない。だから、首元から遠くなるほど冷たいのだ。ミカサは指先に通うはずの血が凍っているのではないかとすら思った。手袋をはめているのに、それは冷たい風を通さず手を温めてくれるもののはずなのに、温かさは微塵も感じない。熱を持つのはただこの首元だけだ。死体のように冷たい自分に熱をもたらしているのだ。私はこのマフラーが与えてくれる熱に生かされている。それは彼女にとって何ら不思議なことではなかった。ミカサ・アッカーマンという存在は、この熱の上で息をし、思考し、戦闘している。だからその熱に全てを捧げることは、とても自然でありきたりな現象のように思われた。彼女の生きる理由は、すなわち生命は、まさに分かりやすくそこにあるのだった。
ミカサは調査兵団の壁外遠征でやって来た市街地を屋根の上から眺めていた。かつて人のものだったそこはすでに巨人の棲み処となり果てている。近くで信号弾が撃たれ、前方に10m級の巨人の姿を視認して彼女は屋根を蹴った。人間の姿を認めて走りくる巨人は、怒りとも悲しみとも喜びともとれない赤子のような表情をしている。初めて目にしたとき恐怖を覚えることしかできなかったその姿も、見慣れた今ではただの物体にしか見えない。巨人がミカサのことをどこかきょとんと見つめたのも束の間、その両目を真一文字に切り裂き、よろめいて前かがみになって現れた項の肉を切り取る。断末魔もないまま巨人は死ぬ。
近くの屋根に着地してひとつ息を吐き膝をつくと、身体のうえで蒸発していく巨人の返り血が、蒸発する前に垂らした手首を伝った。実際の手首よりひとまわり大きい手袋の中へつうと入り込むのを感じ、ミカサは反射的に手袋を外した。中指の先にまで伝った巨人の血は(忌々しいことに人間と同じ色をしたその血は)シュウ、と音を立てるようにして蒸発していくが、今日はなにかその速度が遅い。私の手が、指が、氷のように冷たいからだろうか。だから蒸発するのが遅いのだろうか。
蒸発していく様を眺めていた背後に、ふと気配が現れた。何故だか愛しい彼のような気がして振り向くと、その期待とは裏腹に、乾いた眼をした上官がいつの間にやら涼しげにそこに立ってミカサを見つめているので、すぐに立ち上がろうとすると彼はそれを無言で止めた。
「何してる」
「…任務の遂行をしています」
「屋根の上で自分の手に見とれているのがお前の任務か」
「…」
このタイミングでここに立っているのならば、ついさっき巨人を殺したのを見ていたはずなのに。そのことを言いかけて、思い直して呑み込む。彼に口答えしても空しいだけであることは既に知っている。それに悔しいことではあるが、自分は口答えできるほど実力で彼に及ばないとはミカサ自身が痛いほどよくわかっていた。そんんな胸中を知ってか知らずか、兵士長である上官はおもむろにごそごそと自身の胸ポケットを探り出した。
(そういえば、今日は素手だ。いつも手袋をしているのに。必ず)
初めて見る彼の白い素手がポケットから取り出したのは、同じく白いハンカチだった。そしてぐっと強引にミカサの手を掴み、既に蒸発して消えつつある巨人の血を拭う。手首を掴んだ強引さとは正反対の、ひどくやさしく丁寧な手つきで、綺麗にミカサの指から血の色を消す。放っておけば、どうせ消えるのに。だがそんなことよりも、ミカサには彼の指の方が気になった。彼の指の冷たさのほうが。
上官は拭い終わった白いハンカチをミカサの頭へぽいと投げた。「洗って返せ」
「リヴァイ兵士長、」
「行くぞ。もたもたするな」
言うが早いか先刻とは別の方向からまた信号弾が放たれた。少し遠いが、あの方向を担当していた班はもう壊滅状態と聞いている。リヴァイの班が対応にあたらなければならない。もうミカサを振りかえることなく走り出すリヴァイに、待てとも言えないまま彼女は慌ててハンカチを胸ポケットにしまい、手袋をはめた。コーヒーに落とすミルクのような色の手袋。そういえばリヴァイがいつもはめていた手袋も、そんな色をいしていたかもしれなかった。
(冷たかった)
数秒遅れて再び屋根を蹴ったミカサの脳内に、彼の氷のような指の感覚だけが浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。ミカサの手は冷たい。アルミンに、クリスタに、ハンジに、雪や氷のようだと言われるほどに冷たい。冷たいはずだ。それにふれたリヴァイの白い指が、冷たかったのだ。
(それなら)
必死に追いかける上官の背中を、ミカサは瞬きも忘れて食い入るようにただ、ただ見つめていた。
-------------------------------------------------------------------------
ミカサがリヴァイ班に入ったとしての妄想でした。
リヴァイはミカサとエレンの保護者ポジにいてほしいというか…不器用に冷たく心配しててほしい。特に自分と似てる(といいと私が思ってる)ミカサには。
ミカサはエレンに対してかなり盲目的なので、本当に危なっかしくてしかたないと思うんです。普通はミカサのほうが自分より戦闘能力が高いからミカサが安定して見えるだけで、人類で唯一ミカサを自分より弱いと見れる兵長にとってはそんなんじゃないんじゃないかと…うーん
まあミカサと兵長のエピがあるとすれば原作でもこれからなので、かなり期待。絡み方も妄想90%で書いちゃったので、もう少し原作で描写があってからまた書いてみたいなあ
ミカサの細い指を軽く握ってハンジが言った。「雪合戦でもしてきたの?」
「いえ。もとから血行が悪いようで」
「分かってるって、ジョークだよジョーク。ウチのエースくんたちはユーモアセンスに欠けるんだから」
そう言って彼女が手渡してくれた革の手袋ははめてみると少し大きかった。数年前に知人からもらったのはいいが勿体なくてあまり使っていなかったのだというそれについて、普段ミカサがはめている安物の手袋よりは温かいだろうとハンジは太鼓判を押したが、正直なところはめてみただけではそれを確信するに至らない。コーヒーに落とすミルクのような色もミカサの好みではなかった。しかしこれで指先の冷えが解消するならばと、細かいことは口に出さずそれを借り受けることにした。
気にするようになったのは、アルミンに手が冷たいと言われてからだった。「ミカサの手、すごく冷たいけど大丈夫?」。それまで自分の手や指が冷たいなどと考えたことは無かった。冬は確かにかじかんで感覚が鈍るがそれは皆同じことで、自分に特別な事だとは思わなかった。しかしアルミンの(男性なのに)女性的な手は、包み込まれるとじんわりと熱く、こちらの手が溶けてしまうのではないかと思うほどで、それは彼の手が温かいと同時に自分の手がそれほどに冷たいのだと悟るには十分な体験だった。聞けば特に冬場、手足の温度が下がるのは女性によくみられることで、クリスタも重ね着をしたり分厚いソックスをはいたりして身体を冷やさないよう努力しているらしかったが(サシャはそんなことには無縁なようだった)、そのクリスタでさえミカサの手は氷のようだと言うので、これは単に冷えているだけでなく生来血のめぐりが悪いのではないかと思い至ったのだった。立体機動装置を駆使する兵士にとって、指先の感覚が鈍るのは致命的である。あれは、ワイヤーの出るタイミング、ガスの噴射量、そして何より巨人どもの肉を切り刻む剣の刃先を、すべて指で操るのだ。十本の指に生命を託していると言っても過言ではない。その指が思うように動かなくなるということはつまり死を意味する。巨人の餌になるということを意味するのだ。
「手袋を重ねてはめればもっと温かいけど、ミカサはそれは嫌だろ?」
「はい。剣が握りにくくなるので」
「じゃあ、あとは体温を上げる食べ物を食べるようにしたらいいよ。唐辛子とか生姜とかね。…しかし、君はずっと温かそうな格好をしているから冷えとは無縁だと思ってたのに、意外だなあ」
「温かそう?私が?」
「うん。温かそうじゃないか、そのマフラー」
思わずむず痒い気分になって、ミカサはそのマフラーに口元を埋めた。「はい、温かいです…とても」
「人間離れしてる君でさえ冷えから逃げられないなんて、つくづくヒトっていうのは不便な生き物だよ。あーあ、巨人も寒さで動きが鈍って仕留めやすくなったりしたらいいのになあ」
ま、熱が彼らの生命活動にどれだけ影響を及ぼしているのかすら私たちには未知数だけど…と語り出すハンジの声を遠くに聞きながら、はめていた手袋を外してマフラーの下の首筋にふれると、その氷のような冷たさにミカサは身ぶるいした。
そうだ、自分の体温は、このマフラーが与えてくれるものに他ならないのかもしれない。だから、首元から遠くなるほど冷たいのだ。ミカサは指先に通うはずの血が凍っているのではないかとすら思った。手袋をはめているのに、それは冷たい風を通さず手を温めてくれるもののはずなのに、温かさは微塵も感じない。熱を持つのはただこの首元だけだ。死体のように冷たい自分に熱をもたらしているのだ。私はこのマフラーが与えてくれる熱に生かされている。それは彼女にとって何ら不思議なことではなかった。ミカサ・アッカーマンという存在は、この熱の上で息をし、思考し、戦闘している。だからその熱に全てを捧げることは、とても自然でありきたりな現象のように思われた。彼女の生きる理由は、すなわち生命は、まさに分かりやすくそこにあるのだった。
ミカサは調査兵団の壁外遠征でやって来た市街地を屋根の上から眺めていた。かつて人のものだったそこはすでに巨人の棲み処となり果てている。近くで信号弾が撃たれ、前方に10m級の巨人の姿を視認して彼女は屋根を蹴った。人間の姿を認めて走りくる巨人は、怒りとも悲しみとも喜びともとれない赤子のような表情をしている。初めて目にしたとき恐怖を覚えることしかできなかったその姿も、見慣れた今ではただの物体にしか見えない。巨人がミカサのことをどこかきょとんと見つめたのも束の間、その両目を真一文字に切り裂き、よろめいて前かがみになって現れた項の肉を切り取る。断末魔もないまま巨人は死ぬ。
近くの屋根に着地してひとつ息を吐き膝をつくと、身体のうえで蒸発していく巨人の返り血が、蒸発する前に垂らした手首を伝った。実際の手首よりひとまわり大きい手袋の中へつうと入り込むのを感じ、ミカサは反射的に手袋を外した。中指の先にまで伝った巨人の血は(忌々しいことに人間と同じ色をしたその血は)シュウ、と音を立てるようにして蒸発していくが、今日はなにかその速度が遅い。私の手が、指が、氷のように冷たいからだろうか。だから蒸発するのが遅いのだろうか。
蒸発していく様を眺めていた背後に、ふと気配が現れた。何故だか愛しい彼のような気がして振り向くと、その期待とは裏腹に、乾いた眼をした上官がいつの間にやら涼しげにそこに立ってミカサを見つめているので、すぐに立ち上がろうとすると彼はそれを無言で止めた。
「何してる」
「…任務の遂行をしています」
「屋根の上で自分の手に見とれているのがお前の任務か」
「…」
このタイミングでここに立っているのならば、ついさっき巨人を殺したのを見ていたはずなのに。そのことを言いかけて、思い直して呑み込む。彼に口答えしても空しいだけであることは既に知っている。それに悔しいことではあるが、自分は口答えできるほど実力で彼に及ばないとはミカサ自身が痛いほどよくわかっていた。そんんな胸中を知ってか知らずか、兵士長である上官はおもむろにごそごそと自身の胸ポケットを探り出した。
(そういえば、今日は素手だ。いつも手袋をしているのに。必ず)
初めて見る彼の白い素手がポケットから取り出したのは、同じく白いハンカチだった。そしてぐっと強引にミカサの手を掴み、既に蒸発して消えつつある巨人の血を拭う。手首を掴んだ強引さとは正反対の、ひどくやさしく丁寧な手つきで、綺麗にミカサの指から血の色を消す。放っておけば、どうせ消えるのに。だがそんなことよりも、ミカサには彼の指の方が気になった。彼の指の冷たさのほうが。
上官は拭い終わった白いハンカチをミカサの頭へぽいと投げた。「洗って返せ」
「リヴァイ兵士長、」
「行くぞ。もたもたするな」
言うが早いか先刻とは別の方向からまた信号弾が放たれた。少し遠いが、あの方向を担当していた班はもう壊滅状態と聞いている。リヴァイの班が対応にあたらなければならない。もうミカサを振りかえることなく走り出すリヴァイに、待てとも言えないまま彼女は慌ててハンカチを胸ポケットにしまい、手袋をはめた。コーヒーに落とすミルクのような色の手袋。そういえばリヴァイがいつもはめていた手袋も、そんな色をいしていたかもしれなかった。
(冷たかった)
数秒遅れて再び屋根を蹴ったミカサの脳内に、彼の氷のような指の感覚だけが浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。ミカサの手は冷たい。アルミンに、クリスタに、ハンジに、雪や氷のようだと言われるほどに冷たい。冷たいはずだ。それにふれたリヴァイの白い指が、冷たかったのだ。
(それなら)
必死に追いかける上官の背中を、ミカサは瞬きも忘れて食い入るようにただ、ただ見つめていた。
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ミカサがリヴァイ班に入ったとしての妄想でした。
リヴァイはミカサとエレンの保護者ポジにいてほしいというか…不器用に冷たく心配しててほしい。特に自分と似てる(といいと私が思ってる)ミカサには。
ミカサはエレンに対してかなり盲目的なので、本当に危なっかしくてしかたないと思うんです。普通はミカサのほうが自分より戦闘能力が高いからミカサが安定して見えるだけで、人類で唯一ミカサを自分より弱いと見れる兵長にとってはそんなんじゃないんじゃないかと…うーん
まあミカサと兵長のエピがあるとすれば原作でもこれからなので、かなり期待。絡み方も妄想90%で書いちゃったので、もう少し原作で描写があってからまた書いてみたいなあ
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