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 キイ、と適当な場所で車が止まった。
 「ここからは一人で行けよ。バスがあるから」
 運転席に座った彼が前方に見えるバス停を顎でしゃくってみせたのに助手席の彼女は少し躊躇するような表情を見せた後無言で頷いた。しゅるりとシートベルトを外し、車を降りてトランクを開けに後方へ回る。ずいぶんと暖かな空気が、雪国育ちでつい厚着をしてきた彼女を包み、彼女は上着のジッパーを下げて手で首元を扇いだ。年が変わってから一番の暖かさだった。
 トランクに積んだ荷はそれほど多くないが最後に残ったキャリーケースが難物で、引きずりおろすようにしてやっと彼女がトランクから出すと、待ちくたびれたのか運転席にいたはずの彼が車に寄りかかって立っている。彼女はまた無言でその顔を一瞥し、キャリーケースをそのままにして残りの荷物をかき集めた。彼も黙ってそれを見ている。キャリーケース以外の荷物を全て肩にかけるやら手に持つやらした彼女は歩道の上へのぼり、一度荷物をおろして彼と向かい合った。
 「バスは何時に来るの?」
 「知らないよ。時刻表を見ればわかるだろ」
 「調べてないのね」
 「なんで俺が調べなきゃいけないんだ?」
 「兄さんがバスで行けって言ったんじゃない。バスの時刻まで知ってるのかと思った」
 「そんなわけない」
 「私は兄さんが空港まで送ってくれるんだと思ってたのに」
 ひどいわ。
 妹がそう言うと、兄は一瞬だけフッと笑った。そこに込められたものが温もりなのか冷たさなのかさえ分からないほど微かな表情を捉えたかそうでないか、彼女はじっと何かを探すように切れ長の兄の目を見つめた。「ねえ」
 「なんだよ」
 「みっつ聞いてもいい?」
 「どうぞ」
 「兄さんは本当に帰らないつもり?」
 「当然だろ」
 「ずっとここで暮らすの?」
 「ああ」
 「それは」
 言いかけて彼女は息を吸った。ちらりと天を見上げ、一度ふうと吐いて、また吸い直す。「それは、私が嫌いだからなのよね?」
 「そうだよ」
 射るような視線を逸らさずに言った兄をしばらく無言のまま見詰め、妹はまた息を静かに吐いて、さっきおろした上着のジッパーを一番上まで上げた。足元に置いた荷物を拾い、キャリーケースを歩道の上へ引っ張り上げようと手を伸ばすと、それを兄が遮って、片手でひょいと歩道の上の彼女の足元へ置く。そして腕時計を見た。
 「バス」
 「ん?」
 「乗り遅れるぞ。早く行けよ」
 「バスの時間、知らないんでしょう?」
 「俺はもう行くから」
 妹に答えずに踵を返し車へ乗り込もうとするその背を彼女は呼び止めた。「兄さん」
 呼ばれ立ち止まり振りかえった兄に彼女は少しゆがんだ顔で言う。
 「私も兄さんのこと、嫌いよ」
 初めて何か言いたげな瞳の色になった彼は、言葉を飲み込むように俯いて、「知ってたさ」と独り言のように呟いた。乾いた温い風が吹いていた。


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 (その嘘を見抜いてはいけないと分かっているつもりであった。いったいどれだけ前から覚悟していたことだろう。思い出せない記憶の奥は乾いた風の匂いがする。それが嫌いだった。きっとそんな匂いのする中で僕は心を決めたのだと思う。せめて風に揺れる葉が残っていればよかったのにその決心は木枯らしにもびくともしない裸の大木のようだった。僕はなんてひどい人間なんだろう。なんてひどい兄なんだろう。何も知らない彼女は春の日差しをまるでベールのように纏って泣きそうな顔をする。その震えた声音で囁かれるであろう言葉に僕はただああそうだねと頷いてやらねばならない。彼女は僕を憎むだろうか?蔑むだろうか?どうかそうであってほしい。おまえも、きっと、乾いた風の匂いが嫌いなんだろう?)

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 (彼がどんな顔をするのか大体想像がついていた。何を言っても私に向ける表情は同じだ。その切れ長の目で、冷たく私を見るのでしょう?そしてくだらないと笑うのだ。いつからそうだったか思い出せない。思い出せない記憶の奥は乾いた風の匂いがする。それが愛しかった。ずっとそんな匂いのなかにいたかった。でもそれが嫌だから彼は遠ざかってしまったのだと思う。私の気持ちは兄さんを苦しめるものなのだ。苦しめると分かっているのに断ち切れない私はなんてひどい妹なんだろう。ああ今私はきっと泣きそうな顔をしている。それが汚らわしくて仕方ないのでしょう?だから最後に吐き捨てるようにして私の嘘をくだらないと笑ってね。そうしたら私のことを憎んだり蔑んだりして疲れてしまうこともないでしょう?どうかそうであってほしい。あなたは、きっと、乾いた風の匂いが嫌いなんだろうから。)

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唐突に兄妹もえに目覚めたもので…

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