死神青年と吸血鬼少女の話
すこし、本当にすこしですが、血の出る話ですので苦手な方はお気を付けください。
すこし、本当にすこしですが、血の出る話ですので苦手な方はお気を付けください。
これは死者への愚弄だろうか?燃え盛っているようにも消えかけているようにも見えるぼんやりとした形容しがたい色のランプにその愚弄の細い足先だけが照らされて艶やかなほどに白く光っているのを彼はただただローブのフードの下からじっと覗いていた。かすかな水音と喘ぐような息継ぎがランプの光の届かぬ暗闇で蠢いて、汚い鼠さえそのおぞましさに逃げていく。彼はもう一度自問した、これは死者への愚弄だろうか?揺らめくランプにひとつ視線を落としてはみるがその光に宿った魂はもう言葉を持つことができない。死者の気持ちも分からぬとは死神という名もただの皮肉だと彼は息を吐いた。そう全くの皮肉だ。死を司るのが役目だというのに彼はランプの中の魂がどうやって死んだかも分からない、この魂が天国へ行くのか地獄へ行くのかそれとも別の形で生き続けるのかそれすらも知りえない。こんな存在に神などという名をつけるのは不適当と言わざるをえまいと彼は思う。ましてやそれにも関らず都合のよいときだけ神の顔になってこんなことをしている自分には。
暗闇がゆらりと動き、白く光っていた小さな足が立ち上がって、全身をランプの光にさらした。鋭い八重歯の覗く口から鮮血を滴らせた少女は泣きはらした悲痛な面持ちで彼にぺこりと頭を下げた。「ごめんなさい」ああ、俺にじゃない。この魂に謝っているのか。この少女は死神よりも死者に労わりの心があるらしかった。ゆっくりと上げた彼女の顔は未だ痛々しいがそれでも明らかに先刻路地裏で膝を抱えていたときよりは血色がよい。少女は彼を見上げ、その大きく幼い瞳からまた涙をこぼしながら言った、「ありがとうございます」。彼は何かを答える代りに指で乱暴に涙と血を拭ってやったが、そのせいでできた赤い血の痕にも関わらず彼女が無理に笑ってそれはもう居たたまれないほど美しかったので彼はその行為を後悔した。少女の笑顔は苦手であった、何かが自分の中で破裂してそのまま胸を突き破ってしまうような気がするのだった。そうすると自分は死神ではなくただの人間になってしまう。それは甘美なように見えて実は恐ろしかった、ひどく恐ろしかった。
「食事がすんだなら早く帰れ、俺は仕事が残ってる」 振り切るような言い草は自分でも不格好に思えた。少女は(彼女もそう感じたかどうかは分からないが)頷いてランプに目を落とす。まるで聖母のような目だと思った。
「このひとは、天国へ行くのですか?」
自分が行き損ねた場所の名を口にしてまた笑う。分からない。彼には答えられない。黙っていると彼女はまた静かな口調で、それはもう子守唄のような柔らかさで言うのだ。「きっと天国へ行くのでしょうね」
「どうして分かる?」
「やさしい人の血は、おいしいんですよ」
お菓子みたいに甘いのです。少女は暗闇に残された男の肉体を振り返った。ランプを動かして光をかざせば、道に倒れこんだまま死んでいたはずの男は、きちんと足を揃えて仰向けにされ、胸の上で手を組み、安らかな顔つきでそこに横たわっている。いつの間にか少女がそうしたらしく、彼女は「こんなことで許してくださるとは思えないけれど」と寂しげに続けた。少女は優しかった。彼女は人の血を飲み続けてさえいれば永遠に生きられる存在だ。逆に血を飲まなければ飢え渇き死んでしまう。けれども彼女は優しさも臆病さも度が過ぎていて人を襲うことなどできないのであった。だからこうやって死者から血を頂戴するのであるが、それもまた彼女は気が進まないらしかった。だがそれでも生きたいという。飢えの苦しみに抗えないと。少女は肉体の傍に寄って、膝をつき、手を組んで黙祷をささげる。十字架は苦手であるから祈るだけしかできないのだ。彼女は誰に祈っているのだろうと彼は思った。黒いローブに包まれた猫のような細い背中はいつも何かに怯えるように少し震えている。その背を向けている彼に対してだろうか?分からない。分からないことばかりだ。彼はじっとその黒猫の背を見つめていた。少女は黙祷のあと、背を向けたまま虚空を仰いだ。
「わたしは、天国へは、行けないのでしょうね」
死神は思わず言った。「行けるよ」
吸血鬼は目を丸くして振り返った。見つめられた彼はランプの固い持ち手をぎゅう、と握りしめる。金でできたそれは既に手のひらの熱で生ぬるい。ランプの炎はゆらゆらと揺れて死体ではなく少女のあどけない顔を照らした。口の中に嘘の味が広がるのを覚え、その甘さとほろ苦さに、懸命に耐える。分からない、自分には分からない。分からないことのほうが多い、ただの人間のように。それでいて何かを超越したような顔で死者を蔑むのだ、横たわる哀れな肉体ではなく臆病で呪われた黒い背中を見つめているのだ。死神は神として失格であるし、自分はそんな死神にも値しないと彼は思った。思いながら息を吸って二つめの嘘をついた。
「俺が連れていく」
少女は目を細めて消えそうな笑顔を見せた。まるで千年生きた天使のような吸血鬼に破裂しそうな何かを胸の中に感じながら死神はぎこちなく笑み返した。これは死者への愚弄だろうかとふと思った。
----------------------------------------------------
(いつものことだが)とても分かりにくいので少し説明。
少女は吸血鬼、「彼」は死神で、死神は人が死ぬ時間と場所が分かるので、生きた人を襲って血を吸うことができず飢えている吸血鬼をその場所まで連れて行ってあげています。吸血鬼はその人が死んでからその血をいただくというわけです。ランプの中の魂はその死んだ人の魂。吸血鬼は基本的に死人なので「(天国に)行き損ねた」、死神は生身の特別な人間です。言っておいたほうがいいのはこのくらいかな?ダンピール(人間と吸血鬼の混血)のことも書きたいなあと思っていたけれどやめた。いつか書いてみたい。生きている間は吸血鬼を退治する力を持っているけれど死んだら吸血鬼になるという、とてもおいしい設定なんですよね。
PR
COMMENTS