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「 いま、戻って、抱きしめて、僕にさわってくれよ 」
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忘れたこと思い出せるから


クリスマス過ぎてしまった。ネタあったのに。なぜ書けない。すみません。

タイトルはくるり「superstar」より。

以下、いろいろ。個人的な偏った意見満載ですのでお気をつけください

●れんあいとけっこんについて


青春真っ只中のはずですが全く華はありません。(痛)でも、言い訳に聞こえても仕方ないですが、恋愛って怖くないですか。結婚ってもっと怖い。とても怖い。私は怖い。愛されるのも愛するのも本当は一方的なほうが楽なんだ
相合傘はとても幸せだけども実は相手の顔をよく見られないんじゃないのかな

●子供について
結婚が怖いので子供を生むのもとても怖いです。だってちゃんと育ててあげられるかどうか、自信が無い。愛情は溢れんばかりに持てると思うけれども。自分がちゃんとした人間であるとは言えないのでそんな奴に育てられた命は更にどうしようもない人間になってしまうのではないかとか。生まれたときは真っ白で、育て方次第でどれだけいい人間になるか分からないのに。生まれてきた子供が可哀相すぎる。もちろんどんな人でも欠陥のない人間を育てることは無理なのだろうけど。
でも私は自分を「どうしようもない」と思っているのに母を「どうしようもない」とは思わないんだな。そこが矛盾ですね。おかしいね。つまりは責任を負うのが怖いだけなんだ。ほんとにどうしようもないな。


●特攻隊について
・特攻隊についての本を読んでいます。じわじわ泣けてしかたない。あのころの若者は、たとえ敗戦という結果になろうとも、敵艦に体当たりして散っていくわが身が母国の誇りと家族の幸せに通じると本気であんなに純粋に考えていたのだろうか(もちろん冷静な目で戦況を見つめていた人もいたし特攻というのは殆ど志願ではなく命令だったようなので複雑ですが)。死ぬ覚悟を持たねばならないのではなく、絶対に死なねばならないという異常な状況下では自分の死にそう意味づけをすることでしか正気を保てなかったのかもしれない。だけどそれが悲しい。
・特攻は、無意味なものだったと思います。命をむだにするというだけの、無意味なものだったと思います。だからその無意味なことに全身全霊をかけその無意味なことで人生が止まってしまった人が大勢いるということが、なんだかもう悲しくて。命を懸けてやったことが後世では過ちだと思われているなんて。それは(特攻や戦争を肯定する意味ではもちろん無いですが、ひとりひとりの人間として)、とても、せつない。大本営の人たちも含めて。
・今の若者には特攻隊員の持っていた愛国心とか心意気みたいなものが欠如しているから特攻隊員を見習うべきだという論もあるようですが、そうは思いません。あのころは国家至上主義で今は(おそらく)個人至上主義の社会です。そんな中でなら社会への帰属意識が(若者に限らず)薄れていくのは自然なことだと思う。そしてそんな中では、「○○のためなら喜んで死にます」という究極に愛他的な精神は異常です。つまり何が言いたいのかというと、「特攻隊を見習え」というのには社会が違いすぎるということ。私たちが特攻隊から学び取らなければならないのはそういうことではなく、戦争の激しさ、厳しさとそれがいかに間違った行為であるかということなのではないのかな。

・長々とすいません。頭悪すぎだろこいつ、とか思ったら重ねてすいません。精進します。とりあえず思ったことを濁流のごとく書き連ねただけなので矛盾点とかたくさんあるかも…とりあえず私は今のところ「特攻隊員は戦争の被害者」という立場にいちばん近いです。
しかしなんて底の浅い…私は本当に学生なのだろうか




ていうか文章が下手すぎて泣けてくる
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